高野山・熊野を愛する百人の会

Interview

匠インタビュー

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2020.11.25

尾上 恵治さん「高野山を守り伝えるマイスター」

千年前の建築を、千年後に遺す。



堂宮大工として、世界遺産マスターとして、あるいは金剛峯寺境内案内人として、八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をされている尾上恵治さん。畢生(ひっせい)の大作とされる壇上伽藍の中門再建工事の話をはじめ、高野山で生まれ育ち、半世紀以上を高野山とともに過ごされてきた尾上さんならではのエピソードの数々を、たっぷり語っていただきました。






尾上 恵治(おのうえ けいじ)


1960年生まれ。世界遺産マスター第2期生。堂宮大工・一級建築士・一級土木施工管理技士・特殊建築物調査資格者・金剛峯寺境内案内人。和歌山県社会教育委員。
高野山にて、各種文化財や金剛峯寺をはじめとする各塔頭寺院の保存・修理工事に携わる一方、世界遺産マスターとして町石道などの保全作業やガイドおよび講演を行い、高野山の魅力を発信し続けている。ブラタモリ「高野山」出演、『世界遺産マスターが語る高野山』(新評論)の著者。




―堂宮大工として中門の再建工事の総責任者を務められたそうですね。


父親も同じく高野山の堂宮大工の棟梁で、私は2代目になります。高野山開創1200年記念事業として、1843年に焼失した壇上伽藍・中門が172年ぶりに再建されることとなり、ありがたいことに筆頭の堂宮大工として指揮を執らせていただきました。また、再建で用いる木材の選定員にも任命されたので、文字通り最初から最後まで、足掛け6年関わらせていただくことになりました。


―再建工事で特に苦労されたことはなんでしたか?


大変だったのは木材と礎石の調達ですね。そのすべてを高野山系から探し出すべく「山に入っては木を探し、川に入っては石を探し」という日々をほぼ1年間続けました。再建した中門の様式は、神仏習合のシンボルでもあった鎌倉時代の五間二階の楼門形式で、当時和歌山県文化財センターに在席されていた鳴海祥博先生が設計され、意匠を決めていきました。道具も当時と同じ槍鉋(やりかんな)という鉋を使って表面を仕上げています。自然のままの礎石の形凹凸を柱の底に刻み込み、ピタリと合わせる「光付け」の苦労には格別の思いがあります。私の個人的な感想ですが、鎌倉時代は武士の世の中になり、彫刻などは運慶・快慶のようにとても写実的で力強い感じになったのですが、建物はどこか優美な印象を受けます。帰る場所には何かしらの安心を求めたのではないでしょうか?




―中門以外にも数々の保存・修繕工事を手掛けられていますが、堂宮大工として大切にされていることは何でしょうか?


私たちの使命は、過去の伝統建築を未来へ送ることです。使う技術はほぼ千年前に完成されたもので、千年進歩していないのかと言われたらそれまでですが、それだけ技術が極まっていたと思うのです。ですからできる限り創建当時の構造・工法を大切に保持・保全しています。いわゆる古建築には釘が使われていないと言われますが、あれは構造に対してなんです。当時、釘がなかったわけではなく、構造に関しては釘を使うよりも木組みの方が長持ちするのです。木材の寿命は大体生きていた倍と言われ、樹齢300年の木から得た木材は大体600年ぐらいの寿命があります。さらに木材の寿命がきた時、解体修理することでずっと残していくことができます。そういう意味で、SDGsな仕事と言えますね(笑)。




―奥之院の御廟の屋根替え工事も3度されたそうですね。



御廟とは弘法大師様が入定された後も世の平和と人々の幸せを願って瞑想を続けているとされている場所であり、作業にあたっては得度をして臨時のお坊さんとして入りました。私は以前にも得度したことがあったので、「受戒して僧名もいただいています」と言ったのですが「そんなのは期限切れや。得度という字は得る度って書くから、何回受けてもええんや」と仰られて(笑)。今まで3度も得度を受けたことは、幸甚の極みです。




―尾上さんは世界遺産マスターとしても活躍されています。


世界遺産マスターとは、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたことを受けてできた和歌山県独自の制度です。民間の有志を募って世界遺産の魅力を広く発信していくとともに、行政の運営だけでは目が行き届かない部分を保全管理していくために設けられました。私はその第2期生になります。マスターになるためには研修会に参加し、難しい筆記試験と面接をクリアする必要があるのですが、見事首席で合格(笑)。副知事の前での誓いの言葉として、ケネディ大統領の言葉を借用させていただき「世界遺産が私たちに何かをもたらしてくれるのではなくて、私たちが世界遺産に何ができるかを考えていきたいと思います」と宣言しました。


 


―マスター活動の一環として本を執筆されたそうですが?


ちょうど私が世界遺産マスターになった時に、熊野、高野、吉野を紹介する本を作りましょうという企画が立ち上がり、その中の高野篇の原稿を少し書いて送ったら面白いからこれで1冊出しましょうという話になりました。途中で中門の工事が入ったため忙しく、しばらく放置していたのですが、中門の再建記念で出版するのがタイミング的に良いということで、大慌てで仕上げたのが『世界遺産マスターが語る高野山』という本です。書籍の内容を各地で講演しています。世界遺産マスターと同時に金剛峯寺境内案内人の資格を取得し、ガイドもしているのですが、中には講演を聞いた方が高野山を訪れてくれるという好循環ができあがっています。



―NHKの「ブラタモリ」でもガイドをされたと聞きました。


手前味噌になりますが、NHKのディレクターが著書を読んで気に入ってくださったのです。著書の構成通りに、しかも破格の3回シリーズで放送していただき、本当にありがたかったです。タモリさんは1を聞いて100を答えられる方で、こんな賢い人がいるのだという稀有の体験でした。私が登場した回の冒頭で「高野山にお寺の数、いくつあると思いますか」と聞いてタモリさんが「120」と答えられて「おぉっ!」と驚くシーンがあるのですが、実は編集で間のやり取りがカットされています。本当は質問した後、タモリさんが「昨日の案内では江戸時代では千数百あって、それが明治の廃仏毀釈で減っただろうけど、今のこの街並みを見ているとかなり栄えているから、、、120!」と分析されたうえで答えられたのです。誰だって驚くでしょう?あの日以来、「タモリさん」と必ず“さん”づけで呼んでいます(笑)。


尾上さんは生まれ育ちも高野山ですが、高野山はどのような存在でしたか?


子どもの頃はただの田舎で、いつか東京に行きたいと思っていました(笑)。転機となったのは30代前半の頃の青年会議所での活動です。郷土愛を育むことを目的に子どもたちを連れてあちこち見て回る「いいとこ探検隊」というのをやっていたのですが、どこに連れていけばいいのか全然分からなかったのです。そこで調べるのですが、調べれば調べるほど分からないことが出てきて、また調べる。それが私のガイドの原点です。当時は高野山のふもとの橋本市で暮らしていましたが、世界的に見ても他にはない誇れる場所だと再認識し、ここで子どもを育てたいと戻ってきました。


世界遺産に登録されてから、高野山に何か変化はありましたか?


世界遺産登録後は、高野山に来る目的が参詣ではなく観光になってきていると感じています。特に外国人観光客が大勢押し寄せてくるようになりました。ただ、意外だったのが、個人旅行の外国の方は1カ所自分の気に入ったところを見つけたら、そこで1日瞑想されていたりするのです。外国の方は自分が見たいものだけを見たり、感じたりして、何かを得て、帰っていかれるのが上手です。現在はコロナ禍の影響で7割を占めていた外国の旅行者はほぼゼロになりましたが、観光客が3割になったのかというとそうではありません。先日ガイドした方が「外国人旅行客がいっぱいで宿を取ることもままならなかったけど、やっと来られました」と言われていたように、お参り、骨のぼせ、お墓参りにと、来たくても来ることができなかった方が大勢訪れてこられています。まだまだ、「聖地」としての意義と魅力は失われていないとホッとしました。
※遺骨の一部を高野山に納める風習


―今後、取り組んでいかれたいことは何ですか?


3年ほど前から依頼を受けて、高野山小学校の世界遺産学習の一環として6年生と一緒に、伽藍堂と金剛峯寺と奥之院を歩いています。その体験をもとに、子どもたちが語り部として名所を案内する動画を制作して高野山観光情報センターで紹介し、高野山の魅力をPRするという取り組みです。案内した後に子どもたちがいつも感想文をくれるのですが、これは本当に私の生きた証として棺桶へ一緒に入れてほしいと思っています。「ただの田舎だと思っていましたが高野山に誇りを感じました」といったものから、「灯篭を寄付してくれたのが藤原道長だと知り、良いこともしていたんだなと思いました」など、子どもの感受性と吸収力にいつも驚かされています。こちらも中途半端なことは言えないと、猛勉強してから参加しています。私がかつてそうであったように、一人でも多くの子どもたちに高野山で生まれ育つことに誇りをもってもらい、ここで暮らしたいと思ってほしいですね。


―最後に皆様へメッセージをお願いします。


高野山に来られるなら、できれば日帰りではなく宿泊し、時間を忘れて精進の世界に浸ってください。そして、自分の考えを一時ストップさせて、雨が降っていたら雨、雪が降っていたら雪、暑かったら暑い、寒かったら寒い、ここでしか感じられないものを心と体で感じてほしいです。特に奥之院の参道で木々を見上げて深呼吸していただくと、天啓のようなものが降りてくることがあります。自分の中にある仏性に出会える場所だと思いますし、それがパワースポットといわれる所以ではないかなと思います。あと、「謂われを聞けば有難や」といいますが、調べれば調べるほど面白い世界だと思いますので、少しでも事前学習されれば興味も実体感も倍加するはずです。