Interview
インタビュー
2023.03.24
熊野本宮大社から車で20分ほど。山間にある本宮町皆地集落に工房を構える芝安雄さんは、桧細工の編笠「皆地笠」ほか、数々の桧細工の技を現代に伝える名匠の一人だ。桧細工の道に入って70年、2023年には102歳を迎える。長い職人人生の中で磨きあげられた技は、どのように身につけられていったのか。伝承が難しいとされる皆地笠制作において、大切な箇所、難しい箇所はどこなのか。これまで手掛けた数々の作品が所狭しと展示された芝さんの工房の一室で話を聞いた。
大正10年生まれ、本宮町皆地出身。特産品の皆地笠をはじめ、茶道具の炭斗(すみとり)や花器を手掛ける桧細工の職人。先代である芝さんの父も、祖父もこの地で細工師として活躍し、3代目を継承。桧とともに育ち、遊びの中で技と知識を修得。原材料である桧の見立てから採取、細工をするための“ひよ”づくり、細工まで、現在、伝統の技を伝えるのは芝さんただひとり。皆地笠のほか、比叡山の千日回峰の行者がかぶる「阿闍梨(あじゃり)笠」なども手掛け、各方面で高く評価されている。1978年に県名匠表彰、1985年に黄綬褒章、2016年には田辺市文化賞などを受賞。
−皆地笠に興味を持たれた経緯を教えてください。
芝 父親が趣味で時計を直したり、大工をしたり、蓑を編んだり、そういうことも好きなほうで、いろいろやっていたんです。それに身近で触れながら、笠づくりは手の先で出来るんだから、面白いなと興味を持ちました。
−小さい頃から、工作が好きだったんですか?
芝 昔はいろいろ子供らしい無邪気な遊びがあったんですよ。そういうことが好きで。ナイフで手を切って、叱られたこともありました。それでも好きで、山からパチンコ用の枝を探してきて作ったりしていましたね。
−皆地笠はご両親やご親戚の方が身近に作られていて、それを見て作り方を覚えられていったのですか?
芝 そうですね。皆地では誰かに教えてもらうのではなく、子供の頃から見様見真似で覚えたんです。面白いっていう気持ちもありました。子供はみんな子守をしながら、桧を編んでたんです。当時はこの村一丸となって、皆地笠を作っていました。活気があったんですよ、ここも。組合をつくって、出荷の時期は何万という笠を出荷していました。わしらの子供のときでしたけど、人気がありました。滋賀県のほうとか九州とか、そういうところからたくさん注文があったんです。
−皆地笠の特徴は何ですか?
芝 一口に言ってね、これはかぶっても軽いんです。あと、雨が降っても漏れません。語り部さんなんかでもね、熊野古道を歩きながら話をしなければいけないでしょう。皆地笠のこの桧には油があるんですよ。それで古くなるほど赤くなって水分を弾くので、途中で雨が降ってきても雨が通らないんです。
−(笠を手に持って)確かに、すごく軽いですね。
芝 そう、すごい軽いんです。普通の笠であれば水や雨を吸うから重いし、首から雨が入ってきます。でも「芝さんの笠は全然雨も入ってこんし、しのげた」って、四国八十八箇所を歩いた人がハガキで送ってくれました。一日川で使っても軽いから、釣り人も喜んでくれていますね。
−いま皆地笠を作られているのは、芝さんだけですか?
芝 そうです。誰か継いでくれたら……という気持ちはあります。この本宮町にも1人いたんですけどね。一生懸命、和歌山県からも大分足を運んでくれたんですけど、実現できませんでした。できないというのは、生活がかかっているでしょう。だいぶ話が進んではいたんですが、子供がいるし本職も持っているから、それはできないっていうことになってしまってね。とうとうだめでした。
−現役時代、皆地笠以外に桧細工のお仕事はされていましたか?
芝 飾るものから実用向きのものまで、なんでもやっていました。「芝さんこんなもの作れんか」っていうのをみんな引き受けてやりました。断ったものはありません。みんな褒めてもらって。花生けでもお茶でも、伝統がある仕事ばっかりでした。お茶の炭斗(すみとり)とか、いまでもまだ使ってくれている人もいますよ。
−皆地笠に使う桧の良し悪しはどうやって見極めるんですか?
芝 まずは、立木を見ます。立木を見て、木肌の様子から中には傷があるとか、この木はやっぱり生えた土地が良くないから捨てなければいけない、とかを判断します。中の様子は割らなければ見えないんですが、中に傷があったら木肌に出てくるんですよやっぱり。そういうところまで見抜くようにならなければ、材料を切ってきても捨てなければいけないものばっかりになってしまうんです。
芝 いまは、原木市場がどこにでもありますから、そこで見立ててきます。切って積んであるところに行って。まあ、それが見抜けるようになるのは、そこはやっぱり年季ですね。材料が良かったら、品物もきれいなもの、良いものが作れるということになります。木には使えないところがあるんですよ、どうしても。それは長年やってると分かってくるんですけどね。
芝 だいたい60年から80年くらいの木が良いんです。その間くらいだと、木に粘りもあるし見どころもあります。だからあまり古い木、お宮さんにあるようなのはだめです。木が切れてしまうので。桧でもそうやって切れない木があるんですよ。それは、だいたいは木肌でわかる。山に入って、10本や20本あっても、そのうちからこの木はいい木だなっていうのはわかります。
−皆地笠は8つの工程があるそうですが、中でも一番難しいところはどこですか?
芝 やっぱり、内編みが難しいですね。挿し骨っていうのがあるんです。それを中につけて組み合わせて縫うことで、一枚のかぶれる笠になる。それに、ここで使うものの編み方も、一つ一つ違います。5本で編むのと4本で編むので、使うところが違うんです。それでこの笠の縁を折って、ミシンをかけて。それもなかなか、長年の慣れがなかったら、きれいにうまく回りません。カクカクとおかしい感じになる。これも年季ですね、やっぱり。年季をかけたら、自然にできるようになっていく。
−笠を作るときに大切にされていることはありますか?
芝 笠の縁の隠れたところは、こういう(竹ひごのようなもの)もの、丈夫なものを入れて作りこむんですよ。これは、わかりにくいんですが、笠の縁の上に乗せて縫うんです。それは素人にはわかりにくい。ただミシンをかけてるとしか思わないんじゃないかな。これを上に載せてミシンをかけると、笠が固定されます。こういう隠れたところにね、一つの技法が出てくるってことだと思います。なんでも習うより慣れっていうでしょう。こうしたらよかったな、ああしたらよかったなってことがね、長年やっているとわかってくるんです。それから良い品物が作れるようになってくるんですね。
−今まで作られた一番思い出深い作品は何ですか?
芝 やっぱり比叡山の笠ですね。比叡山の笠はね、一番難しかったんです。比叡山でね、この(未開の蓮華をかたどった)桧笠が必要になったんですが、どこで作っていたのか検討がつかない。それで、お寺の人が本宮町の役場を通じて、「芝さんなら」ということで紹介があって。それでここに来てくれました。そこから始まったんです。当時はなかなか、難しかったです。それで一年くらいは断っていました。でも向こうもね、なんとかしてほしいと何度も連絡をくれて。
芝 あの笠をつくるには、大きな材料を整えなければいけないんです。だから特殊なんですよ。それで一度断らせてもらって、もし材料が手に入ったらということで引き受けたんです。結局、三人分やりました。あの人たちは、比叡山で何年も修行したあと、お堂へ一週間こもる。飲まず、食わず、眠らず。まあ、すごい精神力ですよね。
−他に記憶に残っている作品はありますか?
芝 京都のお寺さんから頼まれた笠です。見本があったらすぐにできるんですが、見本もなにもないものを「芝さんのイメージで、昔こんなものがあったんやろう」というものを作って欲しいって。そんなにイメージって浮かばないですよね。でも、最後の最後にやりとげました。それでできたのが、八角笠です。できた笠を、写真で撮って送ったらすぐにOKしてくれました。それでお弟子さんを連れて来てくれて、芝さんって手を握って喜んでくれました。
−これまでの仕事、人生を振り返ってみていかがですか?
芝 もう70年も、この仕事をやってきてるんです。その間テレビとかね、いろいろ取材も来ました。生放送もありました。昨年もスペインから取材に来てもらったりしてね。そういうことが私にとっては大きな宣伝になったと思います。一人では、ここまでやってくるのは難しかったですが、みなさんのおかげでたくさん賞も贈ってもらい、頑張れと支えがあったからこそ、今この 101歳、102歳を迎えることになったんだろうと思って大変感謝しているんです。
芝 101年も生きてきたんですが、ありがたいことに、いまだに方々から皆地笠の注文が入るんですよ。「作ってくれるまで、いつまでも待っているよ」と言ってくれるお客さんもいます。それをどうしても、最後の最後までやりとげてから休ませてもらおうと思っています。辞めるっていうのは、もう言葉では表わせないんですよ。これがあってこそ、わしが人生をいままで送らせてきてもらったありがたい仕事なので。人間、自然に時期は来るんだから、人生やれる限り最後までやりとげて終わりたいって思っています。