高野山・熊野を愛する百人の会

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活動報告

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2020.10.28

山本 殖生さん「熊野文化と歴史の案内人」

熊野の豊かな自然には神仏が宿っている。 その息吹をご自身の肌で確かめてほしい。


長年、新宮市教育委員会の学芸員として活躍され、現在も熊野文化の継承と発信に精力的に取り組まれている山本殖生さん。熊野に関する著書も多数上梓されています。古来より人々を魅了した熊野詣の魅力から熊野にまつわるご自身のエピソードまで、ユーモアを交えつついろいろ語ってくださいました。





山本 殖生(やまもと しげお)


長年、新宮市教育委員会の文化財関係担当者として、文化財の調査・研究に尽力。1983年からは、みくまの総合資料館準備室の学芸員として、熊野地域とりわけ熊野信仰の調査・研究を手掛けてきた。また、熊野の世界遺産登録や国際熊野学会の設立にも尽力し、ここ数年は熊野に関する講演機会も多く、「ブラタモリ」にも出演。国際熊野学会代表委員、熊野三山協議会幹事、日本山岳修験学会理事、日本ヤタガラス協会会長。主な著書に『熊野八咫烏』(原書房)、共著書に『熊野比丘尼を絵解く』(法蔵館)など。


―山本さんの現在の活動内容について教えてください。


国際熊野学会の活動がメインで、各地で講演を行ったり、学会に参加したりと熊野信仰を中心とした熊野地域の歴史や文化のPRに努めています。国際熊野学会は、熊野地域が世界遺産に登録されたことをきっかけに、熊野が持つ独自の文化や景観をきちんと保全していこう、みんなで考えて広く発信しよう、と立ち上げられた会です。現在、会員数は200名ほどで、国際と名がついているものの外国の方はほとんどいません(笑)。また、和歌山大学で非常勤講師を務めています。週に1回、前期のみ「熊野スタディーズ」という講義を受け持っていますが、残念ながら今年度は新型コロナウイルスの影響で休講となりました。


―熊野について興味を持たれたきっかけは何ですか?


新宮市の職員として就職後、教育委員会で文化財関係を担当したこともあり、職務上いろいろと熊野のことについて知っておきたいと勉強をはじめ、学芸員の資格も取りました。また、元々ふるさとである熊野が好きだったこともあって、30歳を過ぎた頃から熊野古道を歩いているうちに、豊かな自然や歴史的な魅力、熊野信仰をはじめとする文化の奥深さにどんどん惹かれていき、気付けば今に至ります。


―熊野古道をよく歩かれていたそうですが、思い出に残っていることはありますか?


高野山と熊野本宮大社を結ぶ小辺路という古道についてですね。今から30年以上前に歩いて調査報告書を刊行しました。当時小辺路は全然知られていなくて、刊行後、問い合わせがひっきりなしにきたのを覚えています。高野山と熊野を結ぶ文化ルートというのはすごく面白いなと思いました。小辺路はほとんど山の中を通っていて、古道の状態もとてもよく、ブナ林など自然も豊かで、本当に素敵な道だったと印象に残っています。


―そもそも熊野信仰とは何でしょうか?


一番多い質問ですが、一番答えるのが難しい質問かもしれません。日本では古来、自然物に神が宿ると考える自然神崇拝がありました。そこに、平安時代後期に隆盛した浄土信仰が結びつきました。当時の都である京都からみて南の辺境に位置する熊野は、現世の浄土であるとみなされていたのです。山中の険しい道をいくつも越えて苦行の末、あの世で受ける罪を現世のうちに滅ぼす。極楽浄土のような美しい自然の中で、神仏の特別な力「霊験」を得る。つまり、現世と来世の幸せを祈ることが熊野詣の目的だったといえるでしょう。




―皇太子時代の天皇陛下が熊野に来られた時にご案内をされたとお聞きしました。


19925月のことで、熊野に滞在されたうちの23日をご案内しました。最後に亀山上皇が熊野御幸されたのが1281年だったので、約700年ぶりに皇族が熊野を歩いてくださったわけです。初日の夜に宿泊した湯の峰温泉の旅館で2時間ほど懇談の機会がありました。その時に、多くの上皇や貴族たちが熊野に参詣していますが、それとともに社会的弱者も数多くお参りに来ていたのも大きな意味があると思いますとお話ししました。目の不自由な人が熊野で火を焚き続けたら目が開いたという仏教説話が残っているように、熊野には目の不自由な人をはじめ病人や障がい者もたくさん訪れています。また、聖地には珍しく女性の参詣を禁じていませんでした。貴賤・男女・浄不浄の別なく何人をも受け入れてきた懐の深さが熊野の魅力です、とお伝えしたのを覚えています。


―ご案内中に何か印象に残っているエピソードはありますか?


2005年に2度目のご案内をした時です。大門坂周辺を歩きたいということで再び私に声がかかったのですが、ちゃんと顔を覚えてくださっていました。その時に、熊野川に川下りの関所があったという話をしたのです。陛下は中世交通史、特に水上交通について詳しい方ですので「全国にこのような関所があったのですか?」とお伺いしたところ、「え、僕に質問ですか?」と聞き返されて。前代未聞ですよね、本来はこちらが説明しないといけない立場なのに逆に質問するなんて(笑)。でも、「淀川にもたくさんありましたよ」と丁寧に教えてくださいました。もし、もう一度機会がありましたら、ぜひ川の参詣道を体験してもらいたいですね。そして、熊野川を舟で下りながら素晴らしい景観を楽しんでいただきたいと思います。


―現在の熊野が抱える問題は何でしょうか?


つい最近のことですが、山形県の出羽三山で風力発電の問題が持ち上がったのをご存知でしょうか?山の信仰を研究する日本山岳修験学会や地元など多くの反対があり、結果的に撤回されることになりましたが、これは他人ごとではありません。熊野でも同様の問題がたびたび持ち上がっており、これから各地の霊山で風力発電やソーラーパネルが建設される可能性があります。

2021年に和歌山県で国民文化祭が行われますので、熊野河口周辺の文化的景観保全の問題を取り上げてシンポジウムを行いたいと思っています。特に新宮には神倉山と蓬莱山という山があり、川の参詣道として熊野川があり、さらに海を通じて日本各地につながっていて、山・川・海が織りなす素晴らしい文化的景観があります。それをしっかり後世に引き継いでいくことの大切さを、今一度発信していきたいですね。





―熊野と八咫烏に関する本を執筆されたきっかけは何ですか。


八咫烏は、日本神話において、神武東征の際に熊野に上陸した神武天皇のもとに遣わされ、大和国への進軍を導いたとされる熊野の神々の遣いです。また、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、八咫烏は日本サッカー協会のシンボルマークにもなっています。1998年に日本代表がサッカーW杯のフランス大会に初出場を決めたときに、地元で「あのマークは熊野の烏や」と注目され話題になりました。そこで、熊野三山のシンボルとして八咫烏の伝承なり歴史的なことを研究し始めたら、いろいろ面白いことが分かってきて。それを1冊の本としてまとめて上梓させていただきました。単なる伝説だと馬鹿にされるのかなと思っていたのですが、「日本山岳修験学会賞」という立派な賞までいただくことができ、とてもありがたかったです。熊野の神様のおかげです(笑)。


―今後、どのようなことに取り組んでいかれたいですか?


昨年(2019年)、「日本ヤタガラス協会」という全国的な組織をつくりました。八咫烏は単なる神話上の鳥で終わらない魅力を持っています。三本足なのは太陽信仰の象徴ですし、神の遣い、導きの鳥とされています。そんな八咫烏の伝承や意義を分かりやすく伝えていくのが目的です。熊野信仰が全国に波及したこともあり、日本各地にも八咫烏の伝承は数多く残っているので、情報交換をして集大成できればと思っています。また、太陽の象徴としての三本足のカラスは中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきたと言われているので、将来は東アジアにも交流の輪を広げていきたいと考えています。


―最後に熊野を訪れる皆さんへメッセージをお願いします。


現在の熊野詣は、参詣というよりは観光旅行に近い感覚ですよね。体力づくりのためであったり、写真を撮りにきたり、大自然にふれたり、いろんな楽しみ方があっていいと思います。しかし、世界遺産として熊野の歴史や文化的背景にも興味をもったうえで来ていただければ、より一層その魅力にふれていただけると思います。それと、以前トランジスターラジオをもって古道を歩いている方に出会いましたが、あまり文明の利器は持ち込まないでほしいですね。古の修験者たちは自然そのものが「お経」だと考えていたそうです。