高野山・熊野を愛する百人の会

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2022.07.29

鼎談記事「熊野の水と森」公開!

鼎談:熊野の水と森をめぐる対話(荒俣宏氏、夢枕獏氏、九鬼家隆氏)




2022年5月20日、熊野本宮大社の「瑞鳳殿」にて、高野山・熊野を愛する100人の会のメンバーである作家の荒俣宏氏、夢枕獏氏、そして熊野本宮大社の宮司である九鬼家隆氏による鼎談が行われました。


この鼎談は「熊野の水と森を巡るツアー」のプログラムの一環として企画されました。当日は熊野の地に深いご縁のある二人をお迎えし、熊野の水と森そして、その深い魅力について活発に意見が交わされました。


以下、その様子をお届けします。







(1)「これがへんなきっかけなんですよ」――熊野との出会い


夢枕 はじめて来たのは20代の頃だから、もう40年以上は前ですね。空海が出てくる話を書く必要があって高野山に来て、その後もっと奥まで行っちゃったんです。熊野のほうは、一番最初は釣りだったんですね。釣りをする場所を探していて、なんかすごい川があるなって。そうして来てみたら、こちらの神社とか、僕の好きな怪しげなものがいっぱいあって。結局両方セットで通うようになっちゃったというのが、現在ですね(笑)。



夢枕獏氏:1951年1月1日、神奈川県生まれ。東海大学文学部日本文学科卒。77年にデビュー。以後、『キマイラ』『闇狩り師』『餓狼伝』『陰陽師』などのシリーズ作品を発表。 89年『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞、98年『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞を受賞。11年『大江戸釣客伝』で泉鏡花文学賞と舟橋聖一文学賞を受賞。同作で2012年に吉川英治文学賞を受賞。漫画化された作品では、岡野玲子『陰陽師』、谷口ジロー『神々の山嶺』、板垣恵介『餓狼伝』がある。映画化された作品に『陰陽師』『陰陽師2』『大帝の剣』『エヴェレスト 神々の山嶺』『空海 –KU-KAI-美しき王妃の謎』などがある。



荒俣 僕は、これがへんなきっかけなんですよ。あるとき、九鬼水軍の原稿を書くために(近くで電車に)乗ってたら、なんだか和服をきちんと着た人が電車に乗ってきたんです。なかなかちゃんとした正装で、電車に乗る人っていうのは珍しいなあって思って、面白いから後ろに座ってたんですよ。そしたら、いきなりその人が声をかけてきて「あなた荒俣さんですね、私は熊野本宮の九鬼です」って。あれはもう、40年以上前くらいになるかと思いますけど、それで「ぜひ、熊野本宮にいらっしゃい」と名刺をもらいました。あと、あの白浜の〈崎の湯〉だったかな、あそこに露天風呂があるんです。あるとき、湯につかって荒海を眺めていたら、なんと南方熊楠顕彰館の中瀬さんっていう方が堂々と入っていて。近づいていくと向こうもこちらを知っていて「荒俣さんですね」って。電車で会って、お風呂で会ったんで、これはもうなんかあるに違いないって思いまして。そこからですよね、熊野の不思議、あるいは熊野の歴史とか、自然も含めて、足を踏み入れるようになったのは。


九鬼 わたしは熊野で生まれて育って、今日に至っていますが、お世辞ではなく本当に、楽しみで熊野にきて、そこから地域を知っていただくというのが、一番理想的な流れだと思っています。信仰だけで来られると非常に辛いと思うので。あくまでも、熊野の自然の中で、自分を紐解いて遊ぶ。今でしたら、サイクリングとかいろんな若い方がやってらっしゃいますけど、そういう一つの楽しみを熊野に見つけていただいて、そこから、熊野・和歌山の歴史を知っていただくことが、本当に大事ですね。




(2)「水が綺麗というのは問題で……」――水をめぐる対話



――――さて今回の鼎談では、熊野の水と森という大きな二つのテーマでお話していただければと思います。その水について、まず九鬼さんからお話いただければと思います。


九鬼 大斎原(※熊野本宮大社旧社地大斎原)は、歴史的には何度も水に見舞われた時代もあったようですけれども、特に明治22年の十津川・熊野川の大洪水で大きな被害に遭いました。当時はこの熊野の奥や吉野で、明治政府の施策で山々が伐採されて、そのあとに長雨が降って土石流が発生したという状況でした。熊野本宮大社は、大斎原がちょうど音無川、岩田川、また熊野川という三つの河川のちょうど中洲にある関係上、非常に大きな災害を被りました。御本殿が傾いた状況だったので、当時の方々が、思い切って今現在の高台に移築をして、今年で130年という年です。水は日頃は静かで、今日もそうですけれども、本当に気持ちの良いものですが、ときにはやはり災害になっていくわけです。その中でも人々は常に生きていくわけですから、自然の脅威と言いながらも、自然とともに、どんな風に向き合っていくのかということは、ずっと熊野のテーマなんだと思います。



九鬼宮司の案内で熊野本宮大社旧社地「大斎原」を散策する荒俣氏、夢枕氏



――――ありがとうございます。では熊野のおすすめの水スポットについて、お二方からも教えていただいてもよろしいでしょうか。


夢枕 水のスポットというか、釣りのスポットというかですね(笑)。もう40年くらい前に、山を越えたりして車で来たんです。それで熊野川をみたときに、海を流れてるみたいで。それでね、ポイントがわからないんですよ。もう底が深くてね。もうちょっと小さくないと川って読めないんですよ。それで、これ良いじゃんっていうのが古座川だったんです。古座川のどこが良いかって言うと、ヒューマンサイズで、遊べるんですよね。古座川って地元の人もね、うなぎとったり、いろんなことをやってるし、行く度に遊んでてね、手が出る大きさなんですよ。どの場所に鮎がついていて、まあ上流の方に行けば、どこにヤマメがいるかとかね、わかりやすいんです。水が綺麗というのは、これは大変なことで。今うちのカミさんとよく出かけたりするんですけど、「うわあ綺麗」ってカミさんが川を見ているときに「うん、まだまだだな」とか言うと、嫌な顔をされるんですね(笑)。カミさんに「じゃあどこがいいの?」って言われたら、やっぱり古座川とこっちの川だったり、あとは四国に何本か、あと東北にもあるんですけど。


荒俣 今はどこ行くの?


夢枕 結局、今は古座川で鮎っていうところに落ち着いてしまいました。あと水が出てダメな時は、小川の方に逃げますね。2年に一回くらい来てたんですけど、コロナで最近はあまり……。熊野には他にも見るべき場所はたくさんあるんですけど、つい釣りをやってしまうんですよね。


荒俣 今思い出しましたけど、古座川には私も何度もチャレンジしました。私の場合ね、釣りじゃなくて、ダイビングで写真を撮ることなんですよ。特に古座川はね、これすごいんだけどね、国の天然記念物のオオサンショウウオが住み着いてるんです。で、研究によると、本来ここにいなかったんじゃないかと言われるんだけど、なんかどういう縁かで住み着いて一気に環境が良くて増えちゃった。さっきおっしゃった通りですよ、古座川。ただね、私の印象がちょっと違うのは、網持ってシュノーケル咥えてウロウロしていると、密漁者になっちゃうんですよ。私、そんなこと全然知らないから、最初古座川に行ってやってたんですが、あそこはね、資源管理をしっかりされて大切にされてるんですよ。だから良く分かったんですが、釣り人の文化っていうのはある程度日本で認められていて、釣り人はジェントルマンだからまあいいとして、網をもっているやつは密漁者なんです。「そこを動くな!」って言われたことがあります(笑)。


夢枕 ええー!


荒俣 なんかウエットスーツを着てると密猟者らしいんですね、見分け方としては。それでサンショウウオをなんとか写真を撮りたいと思って時間が過ぎるのも忘れて撮ってますと、自分がどんな姿をしてるのかも分からなくなって。それで「そこを動くな」って言われた時に初めて漁師の人に聞いたら、「あんたの趣味はいいんだけれど、ここで暮らしている人がたくさんいるんで、この資源が枯渇したら大変なことになるんだ」って。非常にしっかり守られていたのが、ものすごく印象に残っていて、以後あそこには網を持って近づかないようにしています。



荒俣宏氏:1947年、東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、10年間システムエンジニアとして日魯漁業(現マルハニチロ)に勤務した後、独立。百科事典の編集助手をしながら書いた小説『帝都物語』がベストセラーになり、同作品で日本SF大賞を受賞。神秘学、博物学、風水等、多分野にわたり精力的に執筆活動を続ける。



(3)「熊野には、一度自然を壊してしまったんだけど、もう一度復活させたっていう経験があるんですね」――熊野と森の魅力



荒俣 熊野がすごいのは、これは僕の印象ですけれども、今のように、地元の人が自然を大事にしてるんですよ。さっきも仰った通り、江戸時代は何度もね、洪水とか、11年くらい前に起こったようなレベルの洪水とか崖崩れとかが、常時あったらしいんです。その理由は、豊臣秀吉とかあの辺の人たちが、戦国時代ですから船作ったりするのに木をバンバン切ったからです。それで地滑りのようなものがよく起こった。江戸時代になって徳川家康の息子が入ってくると、まずは木を切るなっていうことを、終始徹底したんです。崖崩れも起きるから。


――――それを、その時代に気づいた人がいらっしゃったってことですね。


荒俣 いたんです。それを幕府が採用して。まず山では変なことをするなよって。それから、大きな木は切ってはいけない。とにかく杉とか檜とか、一番重要なものですよね、それが行政単位でちゃんと確保されていた。熊野には一度自然を壊してしまったんだけど、もう一度復活させたっていう経験があるんですね。多分今でもその経験が生きていて、あまり極端なことをやらないようにというのが、この自然を守ることができている大きな力になっているのではないでしょうか。


――――そうだったんですね……興味深いお話をありがとうございます。では、熊野の原生林の魅力について、夢枕さんはいかがですか?


夢枕 いろんな日本列島にもやもやと立ち込めている何か日本列島全体に共通する文化みたいなのがあるんですよ。これはうまく言えないですけれども。そのもやもやとしたものがね、一番最初に立ち上ったのが、この熊野じゃないかなと思うんです。日本の変なものが残っているのは、これは良い意味で使ってるんですけど、東北のブナの森と、ここの原生林だと思うんですよね。似たような気配があるので。そこをたどっていくと、縄文っていうところにたどり着くような気が、僕はしているんですよ。単なる原生林じゃなくて、人間の何かが非常に関わって出来あがったものというと、やっぱり縄文の森だなと思うんですよね。具体的に言えば、大きな木には魂が宿ってたとか、大きな石にも精霊が宿っているというような、日本人が持っている基本的な考え方の、ベーシックなものが、この半島のいろんなところにあるんじゃないですかね、たぶん。ここはその原点だと思いますね。


九鬼 森と神社という点でよく言われるのは、鎮守の森ですね。これは全国各地の社寺、お寺もそうなんですけれど、本来鎮守の森というのは、そこに神々の魂の鎮まる、静かにその神域を守る、地域を守るのが鎮守の森ですから。その森を中心にね、お社が建って、そこに皆さんが手を合わせてという形ですよね。本来でしたら神社というのは、その場所で育った木材といいますか、檜とか杉とか地域を代表する、その地にあった材を使ってはじめて、そこにお社が建て替えられるというのが理想なんです。それが、時代の大きな流れでそれが消えてしまって。結局は、その土地での調達ができなくて、山口県とかそういう方からそれを頂いて、それをしたりとかですね、そういう状況が続いているので。だから、神社というのは、森とか木とは切っても切り離せないものなんです。



九鬼家隆氏:1956年、和歌山県生まれ。1979年、國學院大學文学部神道学科を卒業後、明治神宮奉職。昭和60年、熊野本宮大社奉職。平成13年、熊野本宮大社宮司就任。平成28年3月、和歌山県神社庁長就任。平成29年、一般社団法人茶道裏千家淡交会南紀支部長就任。



(4) 読者のみなさんへのメッセージ



夢枕 熊野のことはいろんな人に知ってほしいし、来てほしいんですけど……川にはあまり来ないでほしい(笑)。僕にとって古座川がちょうどいいのは、関東から来る人も関西から来る人も途中に良い川が何本かあるので、そこで満足してしまうからなんです。ところが最近人が増えているので、僕の釣る場所がなくなってしまう。なので、古座川以外に、皆さんいらしてください(笑)。


荒俣 熊野のいいところは、なかなか東京に出ていないので、こちらに来ないと食べられないものがあるところです。大きな目標というより、忘れたうまいものがあるんじゃないかという感覚くらいでいいと思います。偶然の出会いを期待するような形で来る。心の中のものを一回クリアにしてくれば、見るもの聞くものかなり興味深く感じられると思うので。混浴温泉に入るつもりで、てぬぐいを一本ぶら下げて、ちょっと行ってみようという観点のほうが良いかもしれません。この熊野の面白さは、なかなか深いんです。それを感じるためには、体で感じるしかない。ふらっときて、ドカンとぶつかる、というような。


九鬼 対談ありがとうございました。熊野は、蘇りと言っても、さらに生きるという「甦り」という文字が一番適していると思うんです。ぜひ熊野にお越しください。来ていただくと、熊野の良さが伝わると思うので。よろしくお願いします。