Report
活動報告
2023.03.13
生まれ育った高野山で、長年にわたって位牌の文字彫刻を行ってきた福形崇男さん。全国でも数少ない手彫りの職人として、真言宗にとどまらず、様々な宗派の位牌を手掛けてきた。現在は息子の崇志さんと一緒に働きながら、文字彫刻の技を少しずつ伝承している。そんな福形さんがどのように文字彫刻に向き合ってきたのか、文字彫刻のどこが難しいのか、そして業界全体の変化にどのように対応しているのか。雪景色になった高野山の工房で、息子の崇志さんを交えお話を聞いた。
24 歳の時から、同じく位牌職人であった父のもとで位牌製作の修行を積む。現在は福形大日堂の2代目として、手作業によって位牌の文字彫刻を行っている。高野位牌は、高野町杖ケ薮地区で江戸時代に始まり、現在まで脈々と受け継がれてきた。位牌づくりは分業で行われることが多く、職人たちから受け取った位牌に戒名を彫り込む作業は、最後の仕上げにあたる。近年では、どの位牌の産地においても、文字は機械で彫られる方法が主流になり、手彫りで文字彫刻を行っている職人は全国でも少ない。そんな中で半世紀近くにわたり、卓越した技術で位牌彫刻に取り組み、高野位牌に関わる技術を後世に引き継ぐ重要な役割を担ってきた。平成29年度、和歌山県の名匠表彰を受賞。
福形崇男さん(以下、崇男)
福形崇志さん(以下、崇志)
−位牌彫刻の仕事はいつ頃から続いているのですか?
崇男 うちの場合は、私の親父の代からです。独立をしたのが昭和9年の御遠忌のときで、そこからずっと続いています。
−お父さんはどんな職人だったんですか?
崇男 父は昔の尋常小学校を出て、すぐに弟子に入りました。姉の婿さんがこういう仕事をしていたんですね。そこのお父さんがこの仕事をやっていて、その後を継いでずっとやっていたんです。高野山の位牌職人というのは、特注の仕事が多かったんです。木地づくりから字彫りまで、全部やっていました。その頃は字彫りの職人さんが、店ごとにいたんですよ。それがだんだんと減っていって。父は字がわりと上手だったので、みんなうちにそういう依頼を持ってくるようになってきて。それで字彫りのほうが本職みたいになってきたんですね。
−そのお父さんの後ろ姿を見て、仕事を覚えられたのですか?
崇男 (父親は)教えるっていうことはあんまりないんですね。見て、自分でやって覚えるっていう昔からのやり方でした。私が息子に教えるときでも、ああしろこうしろというのは、言わないんです。見て自分でやってもらって、経験して覚えていく。私でさえ一個ずつ彫るのでも、漆のところがめりこんでしまって、まっすぐ彫れなかったりもします。このあたりは感覚で、教えてもわからないんですね。そういうのを何度も繰り返しながら、自分で覚えていくんです。
−この仕事を継ごうと思った瞬間やきっかけはありますか?
崇男 思ったのは高校の時です。そのときはまだ兄貴がいたので、兄貴が継ぐだろうと思って大学に行ったんですけどね。結局兄貴も誰も仕事を継がなかったので、親父が帰ってきてくれないか、と。それで決心しました。やっぱりうちみたいな仕事がなかったら具合が悪いですし、高野山にはこういう仕事が必要ですからね。お寺にとっても。
−(崇志さんに)お父さんの後を継ごうと思った経緯を教えていただけますか?
崇志 僕の場合は長男だったんで、家業を引き継ぐものかな、と。あまり何も考えてなかったです(笑)。大学出た後、戻ってきて継ごうかなと思いました。うちの仕事がなくなったら、自分も困るし町も困るかなあ、と。
−高野山の変化について、何か感じられていますか?
崇男 高野山でもだんだん過疎化が進んできて、若い人がいなくなってきています。用具屋さんも少なくなってきているし、畳屋さんにしてもそうなんですよ。だから、うちもできるだけ残していかないとと思っています。うちみたいな仕事をしているところはあまりないですし、この木地をつくる人も少ないですから。
−全体的に職人さんが少なくなってきているんですね。
崇男 たとえば、仏具の金物をつくる人もだんだん少なくなってきて、息子さんが継がないから廃業するというところが多いんです。それで職人さんもだんだん少なくなってきているんですね。ちょっと前は中国製が安かったので、位牌を中国で作っていたというのがあって。それで、安い位牌は中国から全部入ってきて、国内の職人さんは仕事がなくなったんですよ。あるのは高級なものばっかりで。でも高級な位牌はそんなに数が出ません。それで仕事がなくなってきて、やめてしまった人もずいぶんいます。改めて職人さんを育てるというのもなかなかいかないですし、教える人もいないし、なかなか難しいですよね。
崇男 いまは、仏さんに手を合わせて拝むというのも、あまりしないと思うんですよ。私らの世代でも厄年からですよね。あの歳になると親が亡くなったりするので、それでやっと手を合わせて拝む姿勢が出てくる。でも最近はだんだん長生きになってきたから、いまでは60歳くらいになってやっとそんな感じかな、と。信仰というのも、昔みたいに深く考えてないっていうかな。手を合わせる人が少なくなってきているし、やっぱり難しいですよね。
−位牌の彫刻職人は日本に何人ほどいらっしゃるんですか?
崇男 ちょっとはいると思うんですけどね。でも、うちみたいに専業でやっているところはほとんどないんですよ。はんこ屋さんとかが、よく彫っています。
−今でも手彫りに拘る人は、どのような方ですか?
崇男 先祖と同じように(位牌を)揃えていきたい方ですね。昔はみんな手彫りだったので、同じように手彫りしてくれっていうのがやっぱり多いです。分家して初代になった方だともう機械でも構わないっていう方もいますけど、昔からずっと続いている家だと、先祖に合わせて手彫りがいいという方が多いですね。
−製作工程の彫刻の中で、一番難しいところはどこですか?
崇男 やっぱり、位牌に字をはじめに書くんですが、その下書きができたら半分できたようなものです。それが一番気にしているところですね。
崇志 字を書くためのガイドをつけるんです。でも、このガイド線から、なんでそういう(父みたいな)文字が彫れるのか、いまだ僕にはわからないんですよ。そうはならんやろって。僕の場合はちゃんとまじめにガイドを書かないとまだできません。これが経験の差なんだろうな、と。字を書くのに時間をかけてしまうから、僕はまだまだスピードがあがらないんです。
崇男 位牌を一時間で彫るとしたら、私なら字を書くのに5分くらい、筋を入れるのに10分くらい。仕上げに40分、それで1時間くらいですね。普段はそんなもんです。息子は、字を書くのに20分くらい、筋を入れるのにもそれくらいかかるんですよ。
−実際、一人前になるのにどれくらい時間がかかるんですか?
崇男 10年くらいはかかると思います。はじめ1年くらいは、普通の白木の板に、一の字ばっかり彫ります。それと、座る稽古です。1時間も座っていられないですから。最初から椅子で稽古をしていたら違うのかもしれないですけど、椅子だと手に力が入らないので。
−崇男さんはすでに長くこの仕事を続けてこられたと思うのですが、まだここが難しいと感じる作業はありますか?
崇男 あります。(位牌は)一本一本塗りが違うんです。塗りたてだったらちょっと柔らかいし、逆に日にちが経つと硬くなってきます。ほかにも木の目があると硬いんですが、その周りが柔らかくてうまく刃が止まらず滑ってしまったりします。
崇志 位牌は上から漆が塗られているので、下地の状態が見えないんですよ。
−塗り方や彫り方も、近年変化はありましたか?
崇志 漆の塗り方で高野塗りっていうのがあります。一発で塗るので、手彫りがすごくやりやすいんです。それがいまは合成漆の吹付けとかに変わりつつあって、別ものになりました。やりづらくなってしまいましたね。でもそこは自分たちのやり方を変えて、対応していくしかないかなと考えています。
崇男 中国産の位牌を彫る場合は、機械で彫って、そのあとにちょっと手で入れてっていうふうにしないとだめですね。はじめから手で彫るのはちょっと難しいです。硬いので刃の先が折れたりしますから。そういうふうに、やり方に変えていかなければいけないですね。でもそうなったら、もとが機械なので、文字も機械っぽくなります。それでも、ちょっと近い字にはなりますけどね。機械の場合はどうしてもドリルで彫るから、角のところが丸くなる。手彫りだと角がしっかり出る。逆に小さい文字を彫るなら、機械が良いです。小さい文字を手で彫れと言われても、なかなか難しいですから。
−確かに彫刻刀の限界もありますね。
崇男 三角刀みたいな道具だとすっといけるかもしれないですけど、うちは片刃で両側から刃を入れる感じなので、細さの限界がありますね。でも三角刀だと溝が浅いです。
−高野山以外からも注文はあるんですか?
崇男 うちでも、東京の方から問い合わせがあります。手彫りしてくれないかって。ただ、作っている位牌が違います。もともとの産地が別なので、漆の塗り方とか下地の作り方とかがみんな違う。機械の場合は下地が硬いほうが彫りやすいんですが、反対にうちの手彫りっていうのは硬かったら刃の先が折れたりするので、そういうのは彫れません。関東の方は昔みんな漆で書いていて、彫るっていうのはなかったんです。それが、最近機械が出てきたので、関東の方でも彫るようになってきました。
−関東の方から注文があったときは、木地を関西で用意するかたちでの受注になるんですか?
崇男 それならできます。とはいえうちは二人しかいないので、あまり来られても対応できないことが多いです。なので、うちもホームページを作ったらいいんじゃないかと思っていたんですけど、結局やってないんですよ。うちでは、高野山にお参りに来てくれた人が最優先なんですね。このあたりは、骨のぼりっていう習慣があって、亡くなった人が出たらお骨をもって、奥の院の納骨堂にお骨を収めるんです。それで帰っていくんですけど、そのときに位牌も一緒に作って、地元に戻ったら位牌を供養するんですね。
−法要してから何日くらいの間でつくられるんですか?
崇男 いえ、骨のぼりにきたその日に持って帰ります。なので数時間のうちにつくるんです。都会のほうの業者だと、字彫りだけでも一週間から二週間かかるんです。でも高野山の場合は、特別にすぐに持って帰らないといけない。昔だと、歩いて登ってくるだけで丸一日かかります。そうなると取りに来るっていうのもなかなかできないので、その日に持って帰ってもらうんです。
−そういう注文は随分減りましたか?
崇男 いえいえ、いまでも結構あります。それが、一日3本から4本くらい。
崇志 お彼岸前とかだと、結構増えますね。
崇男 最近は49日くらいまでに作ればいい感じになってきたので、少し余裕が出てきました。それでもやっぱり、登ってきたその日に持って帰る方が多いですね。
−全国から注文も多いんですか?
崇男 そうですね。真言宗のお寺さんが全国にありますから。
崇志 ハワイにはハワイ支部がありますね。なので、信徒さんがいらっしゃる全世界から、注文があります。
−最後に、メッセージをお願いします。
崇志 信仰心は薄れてしまっていると思いますけど、ご先祖様を敬う気持ちを持って、位牌を手元に持っていただいて、供養していただけるような習慣を持ってほしいなとは思いますね。そのお手伝いができたら嬉しいです。
崇男 うちみたいな仕事がこれからどうなるかわかりませんし、みんな機械になってしまうかもしれないですが、できるだけ手彫りの文化を残していきたいなとは思ってますね。機械にはできないところがありますから。例えば看板みたいな大きな位牌や、お寺の特注の位牌は、機械には彫れません。機械は(彫れる)大きさが決まっているので、それ以上の大きさになってきたらもう手で彫るしかない。でも、彫る人がいないと、それも全然できなくなってしまいますから、できる限り残していきたいなと思っています。